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* ようこそ!漢字の由来wikiへ! [#qb249ac2]

このwikiでは、さまざまな漢字の由来やその字を持つ有名人、場所などをまとめて紹介していきます。

**漢字とは [#l116c098]
漢字(かんじ)は、古代中国で発祥した表語文字。現代では中国語、日本語、韓国語の表記に使われる。
現代でも使われている文字の中で最古の文字体系である。また史上最も文字数が多い文字体系であり、その数は10万字をはるかに超え、他の文字体系を圧倒する。
古代から周辺諸国家や地域に伝播して漢字文化圏を形成し、言語のみならず文化上の大きな影響を与えた。20世紀には日本語と中国語以外は漢字表記をほとんど廃止したが、なお約15億人が使用し、約50億人が使うラテン文字についで、世界で2番目に使用者数が多い。

***概要 [#ue52c309]
-漢字の特徴
ラテン文字に代表されるアルファベットが一つの音価を表記する音素文字であるのに対し、漢字は一般に、それぞれが個別の意味を持ち音節に対応している形態素である。しかし現代中国語の単語は、大部分が2つ以上の漢字を組み合わせたものになっている。
本来、一字が一義を表すことだけを重視して表意文字としてきたのであるが、これは古代中国語の一音節が一つの意味を表す孤立語的な言語構造に由来するのであって、正確には音と意味両者を表記する表語文字である。つまり、1字が1語を表しているのである。このような漢字の特徴から伝統的な文字学では漢字を形・音・義の三要素によって分析してきた。
しかし、一つの音の持つ語が派生義を産んで、1字が複数の(まったく正反対の、あるいは無関係で一方の字義からは想像することはできないような)字義をもっていたり、読みが変わって、複数の字音をもっていたりする場合もある。また、外来語を表記する場合など、単純に音を表すために作られた漢字もあり、字義を持たない場合もある。字義の有無を問わず、1音節を表す文字という点において音節文字である日本語の仮名とは近い関係にある。
-漢字を輸入した国と、現在の使用状況
中国に朝貢をしていた朝鮮、琉球王国、ベトナムでは、古代中国から漢字を輸入して使用した。日本もまた中国の勢力下に入ったことは無かったが、漢字を輸入し使用している。また、シンガポール、マレーシアのように、中国から移住した人たちが多く住み、漢字を使用している地域がある。これらの漢字を使用する周辺諸国を包括して漢字文化圏と呼ぶ。
古代日本では固有の文字がなかったが、漢字が朝鮮半島を経由し、伝来してきた可能性が指摘されている。漢委奴国王印や古墳時代の稲荷台1号墳に埋蔵されていた鉄剣の銘文記載が、日本における初期の漢字事例とされる。
現在、漢字は、中国・台湾・日本・韓国・シンガポールなどで、文字表記のための手段として用いられている。しかし近年の各国政府の政策で、漢字を簡略化したり使用の制限などを行なったりしたため、現在では、これらの国で完全に文字体系を共有しているわけではない。日本では仮名、韓国ではハングルなど漢字以外の文字との併用も見られる。ただし韓国では、現在は漢字はほとんど用いられなくなっている。
また、北朝鮮やベトナムのように、漢字使用を公式にやめた国もある。しかし、漢字は使わなくなっても漢字とともに流入した語彙が各言語の語種として大きな割合を占めている。また漢字音は地域・時代によって変化し、地域により発音が違う。しかしながら、淵源となる中古音から各地域の音韻変化に従って規則的に変化しているため、類推可能な共通性をもっている。また地域により発音が違う場合でも同じ字で表すことができるため、国境を越えて漢字を使った筆談でコミュニケーションをとることもある。字形の複雑さから、手書きする場合には、書き間違いや省略などによって字体は場所と時代によって少なからず変化してきた。そうして変化した字体のうち、ある程度の範囲に定着した俗字が各国において正字に選ばれ、字形に僅かな差異が見られる場合がある。また地域音や地域特有の字義を表すための国字・方言字や異体字も多く作られてきた。日本の「国字」(和製漢字)もその一種である。
-漢字の数
中国語の音節の数は、現代普通話の場合、声調の組み合わせを考えても、1600種未満であり、音節文字であれば、これだけの文字種があれば足りる計算になる。しかし、同音異義の語を、部首を付けるなどの手法を用いて区別する漢字は、5000種前後が同時代的に使用されてきた。これに、時代の変遷による字体の変化、同じ字音、字義を表す異体字、地域変種などを加えて整理すると、簡単に1万を越す漢字が集まることになり、歴代の字書は、時代が下るにつれて、多くの漢字を集め、1994年の『中華字海』に至っては、85,568字を収録している。ただしほとんどの文字は歴史的な文書の中でしか見られない使用頻度の低いものである。研究によると、中国で機能的非識字状態にならないようにするには、3000から4000の漢字を知っていれば充分という。
近代以降、異体字を整理したり使用頻度の少ない漢字の利用を制限しようとする動きは何度もあったが、現在でもその数は増え続けている。
常に新しい字が創作されるため、過去から現在に至る過程で、どれだけの数の漢字が作られたかは明確ではない。例えば、既存の中で考慮される漢字が無い何かしらの意図を表現するために、新しい種類が作られてきた。漢字の理論とは万人に開かれたもので、適当と思われれば新たな漢字をつくる事が誰にでもできる。しかしながら、このように発明された漢字は、公的に認められた一覧からはしばしば除かれて行く。
『中華字海』が採録していない漢字もある。例えば日本で作られた国字は約1,500あり、その数は無視できない。
また、コンピュータで処理するための文字集合では、Unicode 9.0が80,388字以上を収録、『今昔文字鏡』がおよそ16万字を収録するなど、さらに多くの漢字を集めているものもある。
***歴史 [#q3b7d1f8]
伝承によると、中国における文字の発祥は、黄帝の代に倉頡が砂浜を歩いた鳥の足跡を参考に作った文字とされる。また『易経』には聖人が漢字を作ったと記されている。考古学的に現存する最古の漢字は、殷に於いて卜の結果を書き込むための使用された文字である。これを現在甲骨文字(亀甲獣骨文)と呼ぶ。甲骨文以前にも文字らしきものは存在していたが、これは漢字と系統を同じくするものがあるか定かではない。当時の卜は亀の甲羅や牛の肩胛骨などの裏側に小さな窪みを穿ち、火にあぶって熱した金属棒(青銅製といわれる)を差し込む。しばらく差し込んだままにすると熱せられた表側に[卜]型の亀裂を生じる。この亀裂の形で吉凶を見るのであるが、その卜をした甲骨に、卜の内容・結果を彫りこんだのである。
現在存在する中での最古の漢字は、殷墟から発掘される甲骨などに刻まれた甲骨文字である。その内容は殷王朝第22代武丁の頃から書かれたものであるため、それ以前には新石器時代の遺跡等で発見される記号はあっても、文字として使用できる漢字が出来上がったのは約3300年前のこの頃だと考えられる。この甲骨文字は物の見たままを描く象形文字であり、当時の甲骨文字は絵に近い様相を持つものも多かった。その一方で、ある種の事態を表現する動詞や形容詞の文字も存在した。例えば、「立」の原型である人が地面を表す横棒の上に書かれた字(指示文字)、女性が子供をあやす様から「好」や人が木のたもとにいる様から「休」などの字(会意文字)も既に含まれていた。さらに、同音の単語を既にある別の字で表す代用字も既にあり、例えば鳥の羽を示す「翼」の原型は、同音で次のことを示す単語に流用され、これが後に「翌」となった。このように、既に現在の漢字の書体に似通っている部分が見受けられ、非常に発展したものであり、おそらくはこれ以前から発展の経路をたどってきたものと見られる。最古の漢字には左右や上下が反転したものや、絵や記号に近い部品が付けられているものなど、現在の常識では考えられない(当然ながら現在では使用されていない)漢字が存在する。その後、青銅器に鋳込まれた金文という文字が登場した。
周の時代になると、文字数は飛躍的に増加した。中国では「清らかで澄んだ」様子を tseng (セイ)と呼び、新芽が井戸端に生えた様子から「青」に連なる象形文字を用いた。この「セイ」という発音と文字「青」は形容詞だけでなく「清らかで澄んだ」ものを呼ぶ様々な名詞にも使われたが、これらにもそれぞれの漢字が割り当てられるようになった。水が「セイ」ならば「清」、日差しが「セイ」ならば「晴」などである。このような漢字の一群を「漢字家族」と言う。侖(liuan-luan、リン-ロン)も短冊を揃えた様子から発し「そろえたもの」を示す象形文字だが、これも車が揃えば「輪」、人間関係が整っておれば「倫」、理論整然としていれば「論」という漢字が作られた。このように、音符に相当する「青」「侖」などと、意味の類別を表す意符が組み合わさった「形声文字」が発達した。
紀元100年頃に後漢の許慎が著した『説文解字』は中国初の字書であり、9353字の漢字について成り立ちを解説しているが、この中の約8割は形声文字である。このような文字形成の背景には、中国では事物を感性的に捉え、枠にはめ込む習慣が影響しているとも言う。このため、音素文字や単音文字を作り出す傾向が抑えられたと考えられる。
周が混乱の時代を迎えると、漢字は各地で独自の発展をすることになる。その後意味・字形ともに抽象化が進み、春秋戦国時代になると地方ごとに通用する字体が違うという事態が発生した。そして天下を覇した秦の始皇帝が字体統一に着手[24]、そして生まれたのが小篆である。秦は西周の故地を本拠地にしたのであり、その文字は周王朝から受け継がれたものだったため、その系統性が保持されたといえる。
小篆は尊厳にあふれ難解な書式だった。秦そして後の漢代になると、下級役人を中心に使いにくい小篆の飾り的な部分を省き、曲線を直線化する変化が起こり、これが隷書となった。毛筆で書かれる木簡や竹簡に書き込む漢字から始まった隷書は、書物から石碑に刻まれる字にまで及んだ。この隷書を走り書きしたものは「草隷」と呼ばれたが、やがてこれが草書となった[25]。一方で、隷書をさらに直線的に書いたものが楷書へ発達し、これをさらに崩して行書が生まれた。
六朝から唐の時代には書写が広まり、個人や地域による独特の崩れが発生するようになったが、科挙の制では「正字」という由緒正しい漢字が求められたが、一般庶民では「通字」や「俗字」と呼ばれる漢字が多く使われた。宋の時代には手工業者や商人など文字を仕事で使う層が台頭し、俗字が幅広く用いられた。さらに木版技術の発展により、楷書に印刷書体が生まれ、宋朝体と呼ばれる書体が誕生した。明代から清代にかけて、康熙字典に代表される明朝体が確立した。
現在、書籍やコンピューター文書などの印刷に使用されている漢字の書体は明の時代に確立された明朝体が中心である。この起源を遡ると、後漢末期に確立された楷書に行き着く。









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